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奥村 朋 -Tomo Okumura-
 
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​「ごましおあめ」/ F8

 

奥村さんとの出会いはSNSで絵をお見かけしたというのがきっかけでした。楽しいようでちょっとドキッとする世界観が気になりしばし画面の中で追いかけていた後、ひょんな形で原画を手に入れたことが今回の展示のきかっけです。あれから3年ほど経ちましたがその原画の魅力は全く色褪せず、どこか遠く果てしない宇宙のような、一方で私の中の細胞単位で広がる小さな世界みたいな、そんな風景を見せてくれます。

 奥村さんの作品には何か独特な空気感があります。描かれている内容は非日常的なものが多いのですが、ファンタジーとも呼べそうな風景描写とは裏腹に、原画と対峙するとそこには真逆とも言える「現実感」のようなものが漂っている気がします。ですがそんな不思議なギャップがありつつも、それらは決して仲違いせず、絶妙な一体感を保って見る者の目の前に広がっているのです。

 「場所や記憶、忘れてはいけないことなどを空想させて日記に書きとめるように絵にしています。」これは奥村さんから作品を描くにあたっての思いを教えていただいた時のコメントです。これを聞いた時に私は何かが腑に落ちる感覚になりました。奥村さんは確かに自身の中の空想世界を描いています。ですがその空想世界の軸足はあくまで現実にあり、奥村さんが日常の中で見聞きして感じたことが種になっているのです。どんなに現実離れした風景描写でも、何でか親しみだったり知っているものを見る感覚に近いものを覚えるのはきっと「現実世界」がその絵の入り口になっているからなのかもしれません。

 これは私の想像ですが、奥村さんの空想世界の種になる現実はきっと「なんてことない日常」なのだと思います。何か特別大きな出来事を絵にするというよりは、日々生きる中で目にしたり耳で聞いたりする些細なことの中から自分の感性にひっかかったものを大切に掬い取り、その小さな現実のカケラを空想という形で育てながら自分のものにしていくのだと思います。そうして描き上がる絵はまるで一輪の大きな花みたいだな、と私は思います。

 忙しい日々の中で、ふと目に止まる景色や耳にする音など、そういったものは誰の日常の中にも散らばっていると思います。しかしその「ふと」を大切に感性のポケットに仕舞える人は案外少ない気がします。ありふれた日常に散らばる宝石の原石を私は多く見過ごしてきたのかもしれない、奥村さんの絵を見ているとそんなことを思います。

​2021.6 飯田未来子

 
 
 

奥村朋 -Tomo Okumura-

 

1993年生まれ。

美術系の専門学校に通っていた時期に患った精神病がきっかけとなり「精神とは何か」という問いを持つ。

病状がある程度安定した後、その問いの答えを求め精神科閉鎖病棟にて2年間勤務する。

 

2017年に水彩絵具に惹かれ、毎日考えていた「精神とは何か」「自分の表現したいものは何か」ということと向き合い、それらを少しずつ作品へと昇華し、表現し始める。

 

2019年にあることがきっかけとなり、「自分には見えていない何かというものは、この世界には居る」ということを強く実感する。

以降、その実感から生じた感性も徐々に作品表現へと落とし込みながら現在に至る。

 
 
 
 
 
 
 
© 企画画廊くじらのほね
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