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青木 香織 -Kaori Aoki-
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影があるから 光が見える

 

光だけを見ようとしても

 

影がないと 光は見えないのだろう

みなそこへ

パネル、綿布、岩絵具

2022年 / SSM(22.7×22.7cm​)

Web Gallery 常設展示室 にて作品取り扱い中

 「人間のうつろいゆく心情」という言葉から皆さんはどんなイメージが湧くでしょう。姿形の無い、けれども人間の一人一人に必ず内在するであろうそれは様々な様相をもっており、人が違えばその在り様も激しく変わります。青木さんはそんな掴みどころがないものを追いながら絵を描き続けてきた作家であり、人物など具体的な姿を借りて描くこともあれば、そのとりとめのなさをストレートに抽象画として表すこともあります。「人物画」「抽象画」と分けてご覧になる方も多いですが、青木さんの描く全ての作品は共通して「人間のうつろいゆく心情」を表現することから出発しています。

 人として生きた経験値が多い人ほどこの「人間のうつろいゆく心情」という言葉は複雑なイメージになってくるのかもしれません。「心情」と言うと字面的には何だか綺麗な言葉ですが、現実的には決して綺麗事ばかりではないことを多くの人は知っていると思います。人によっては真っ黒い深淵に平気な顔をして他者を飲み込んでしまうような残酷な一面を見せることもあるでしょう。ですがこうした一面を知ることで、白い陽だまりのような温かさを持つこともあることに気づかされるのかもしれません。「影があるから、光が見える」これは青木さんの言葉ですが、まさに人が持つ心情の核心を突いたものだと思います。一人一人の人間の中で心情は、常にこうした影と光の部分が交わったり離れたりしながら、まるで海がうねり続けるように、揺らぎうつろいでいるのかもしれません。

 そんな果ての無い世界を前に、青木さんは一人絵を描いてきました。心情の世界を大きく「影」と「光」という言葉で分けてしまいましたが、青木さんはそのどちらかが良い悪いと先入観で決めつけず、どんな様相の心情もあくまで平等に自分の感性に従って見つめてきたことが、その作品を見ているとわかります。混沌としたその中で自分が「美しい」と思ったものを拾い上げ絵にしていく、目を凝らして川底から小さな砂金を掬いあげていくようなその姿は、「美」を司る表現者としてどこまでも透き通っており、その作品もまた透明な美しさがあります。もし「美術」という言葉が「自分が見つけた美を表す術」のことであるならば、青木香織という作家の姿勢は真に「美術家」そのものであると私は思います。

2022年11月 飯田未来子

青木 香織 -Kaori Aoki-

【個展歴】

2020年 「かげおくり」(企画画廊くじらのほね/千葉)

 

2021年 「未完成の僕らは、」(八犬堂ギャラリー/東京)

            「はじまりの線」(企画画廊くじらのほね/千葉)

 

2022年 「漂流者の寝息」(gallery hydrangea/東京)

     「たえぬひかり」(企画画廊くじらのほね/千葉)

 

 

 

【受賞歴】

2017年

第1回 京都学生アートオークション(京都芸術センター/京都)【入選・落札】

 

2018年

第46回 嵯峨美術大学 卒業制作展(嵯峨美術大学/京都)【大学賞・卒業生特別賞】

 

2019年

京都 日本画新展 2019(美術館「えき」KYOTO・ホテルグランヴィア京都/京都)【入選】

第37回 上野の森美術館大賞展(上野の森美術館/東京)【入賞】

 

2020年

京都 日本画新展 2020(美術館「えき」KYOTO・ホテルグランヴィア京都/京都)【入選】

第48回 嵯峨美術大学卒業制作展(嵯峨美術大学/京都)【卒業生特別賞】

 

 

© 企画画廊くじらのほね
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