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​Essay

※Sorry, this page is in Japanese only.

店主による気ままな随筆です。

ご興味ありましたらお楽しみください。

​01

 坂本龍一の代表曲「Merry Christmas Mr. Laurence」(映画「戦場のメリークリスマス」の曲)が好きなのですが、坂本さんが亡くなる直前に収録したCD「Opus」に入っている演奏と、40代の頃にリリースされた「1996」というCDに入っている演奏を、ふと思いついて聴き比べてみたことがあります。個人的な印象としては、若さ(と言っても40代は世間では中堅ですが、表現者としてはまだこれからと言えそうな年代です)故に出来る表現と、人生経験を積み重ねた先で初めて至る表現の違いが分かりやすいほどにはっきりしていて「ああ、そうだよなぁ」と1人で頷くような体験でした。
 「1996」に収録された方は他の楽器も入っておりますが、やはりメインは坂本さんのピアノの音かと思います。疾走するようなスピード感の中でストレートに放たれる一音一音には、怖いものなど無いかのような意志の強さと鋭さを見るようで、その音の核から直感的に感じたのは「感情からの放出」の要素でした。一方で「Opus」収録の方はそれに比べてみると、まずテンポがゆっくりとしており、音の一つ一つはしっとりと深く、まるでこの一曲が終わっていく時間を惜しむかのように進んでいく様が印象的です。リルケ著書の「マルテの手記」に、若い人の表現は表現ではなくあくまで感情だ、というような一節があって、表現とは年齢を重ねて様々な経験を積み重ねた先で初めて成せるものであり、人生の晩年近くほどになってようやく初めて「一節の詩が生まれる」と一人の詩人として考えていたようですが、ここでリルケが言いたかったことが、坂本龍一のこの2つの演奏の比較からよく分かるような思いでした。
 「若さ」というある意味で無条件に美しいものは全ての人に平等に訪れますが、同じように平等にやがて終わりを迎えるものです。そしてそれは人生の前半の期間にあたり、当たり前ですが「若い頃」とは人が世界をまだまだ知らない時期です。ある種の強さを伴う感情の表出というものは、言ってしまえばそんな無知さ故の怖いもの知らずであるからこそ出来る面があり、そうやって放たれるものには躊躇いが少ないので、受け手によっては真っ直ぐに刺さりやすいものかもしれません。そもそも「感情を表す」という人間の行動自体が、顔の表情ひとつ変えることにおいても対外的な行為であると言えるため、作品制作や演奏においても、感情表現が主体となって成されるものは、周囲の他者にとってみれば分かりやすさを伴うアプローチがあるかと思います。坂本龍一の「1996」の方の演奏は自身の中から繰り返し矢を放つかのような音で、外へと積極的に向かう演奏であると感じました。あくまで奏でる音を投げる「先」が自分の外部にあることで成り立つ類の美しさを持つ演奏だと思います。
 一方の「Opus」収録はそれに比べてみると、極めて演奏者自身の内側へ向けた演奏だと感じます。坂本さんが坂本さんのためだけに向けて何かを語りかけ、自分のためにただ美しいものを紡いでいたかったのではないかと、聴いているこちら側が想像してしまうくらいの静けさと落ち着きを含んだ音で(このアルバムに収録された音源全体にこの要素は言えます)、内へ内へと向かうその流れは演奏者の中で凝縮され、小さな美しい宇宙がその内面で生じていく様子を外側から眺めさせてもらっているかのような印象を受けました。表現者が自分の中の美しいもののためだけに忠実となり、その過程で小さな宝石のように紡ぎこぼれ落とされる事物には、その純度が高いほどに、周囲の目撃者にとっても非常に美しいものになり得ることを改めて教わるようでした。
 歳を重ね、人生で色々なことを経験すればするほど、人間のその時その時の感情というものは決して一枚岩ではなく、一瞬のゆらぎの中にもたくさんの要素が多分に含まれていることを知っていく人もいるかもしれません。自分が触れた事柄とそれによって反射的に抱いた感情に対して在る、表面からは見えてこない深い事情や過ぎ去ってしまった故にすぐには分からない発端や契機。そういったものを察してみたり、思いを馳せてみることが出来るようになるにつれ、私自身、一種類の単発的な感情を他者に対して安易に放つことが以前よりも躊躇われるようになったところがあります。感情を言葉で説明する時、例えば天気に例えながら「今は雨のような気持ち」という風に、ある一点時の気持ちをひとつの種類に限定するような説明になりがちですが、人間の内側で発生する感情は常にこんなに単純では無く、限りない濃淡を含むグラデーションのような状態であることが多いと思います。「カンカン照りなのにどこか大雨が降っている」とか「重たい曇り空なのに不思議と薄く明るい所もある」とか、じっくりと自分の感情を観察してみると複数の感情的要素はいくらでも同時に湧いてくるものですし、時にそれは矛盾とも言えそうな感情同士が平然と並び、食い合うように混ざっていくことも多いものです。そしてその複雑さや発生の不条理さを知るほどに、それを知らなかった頃は残酷なまでに放つことが出来た強い感情表出について、人間の感情は安易に外へと投げつけるにはあまりに複雑であること、それ故に自分でも意図しなかった形で暴力性を孕んでしまう危険もあることを学ぶのかもしれません。ですが人が身をもってそのことを学ぶには、そういう目に見えない内情の流動をいくらかの客観性を持ちながらなぞる術を身に付けなければならず、そのために自分と、時には他者と、向き合う時間は人によって程度の差はあれど、若いうちだけではまかないきれないくらい多く必要となります。こうやって歳を重ねるごとに若いうちでは見えなかった現実を知ることは怖いことでもありますが、同時に歳を取る醍醐味の一つはそこにあると、私は思います。

 若年期を越えて直球的な感情表出が難しくなる一方で、経験を通して自分の中に蓄えられていく学びや発見や知見、それによって新たに培われる感性や思想等、その人の人間性のオリジンに関わる部分は、非常にゆっくりと時間をかけながら人それぞれ固有な形をもって積み上げるように形成されていくものと思います。そしてそれは若い時期が終わったさらに後になってようやく、初めてその人だけの表現へと少しずつ繋がっていくのだと思います。こうやって考えるのであれば、感情的要素に頼らない、真の意味においてその人オリジナルの表現を形作っていくことは、人間としての経験値を十分に蓄えるほどの時間をまだ生きていない若者には理論的にも難しいものであり、リルケのように言うのであれば、人は後年に差し掛かるある程度の年数まで生きて初めて、その人だけの一節の詩を生むことができ、一枚の絵を描くことができるようになり、そして一曲の美しい音楽を奏でられるようになるのでしょう。それは例えるなら、人が自身の人生を歩んできた足取りとその道のりからやっと落ちる一滴の雫のような実りであり、その形や味わい深さ(あるいは認めたくないような残念な幼さや浅慮さも)は、それこそ誰にも模倣出来ない究極のオリジナリティであり、唯一無二の表現ではないかと思います。世間では天才肌のような若年者がもてはやされるように好まれますが、この地点まで愚直に人生を貫いた先で生み落とされる表現は、例えそれが凡才な作り手によるものであっても、時に天才的な表現を凌駕し得る固有の強さと美しさを宿すことがあると私は感じます。
 ちなみに私は人が作り出す若い時期特有の表現も、年月を経た先で現れる作り手の人生像のような表現も、素晴らしいものはどちらも素晴らしいと感じますし、美しいものはどちらもシンプルに美しく、自分の肌に合わないものはどちらのタイプであっても合いません。実際に坂本龍一の「1996」と「Opus」はどちらも好きな楽曲アルバムです。ただ、1人の表現者の成熟時期と人生の終焉時期という、異なる地点での表現に同時に触れることが出来た体験は、たまたま自分が生まれ育った時代的なものも含めて、何と稀有で面白い機会であったろうと思います。そして自分が18歳の時に初めて出会った「マルテの手記」の一節でリルケが言いたかったことが、良いお手本に触れるかのように、ある意味で分かりやすく知り直すことが出来たことが嬉しかったです。

 

by Mikiko

(2024.12.19 メモより)

​02

 今の時代を見ていると、あらゆる価値観やさまざまな事柄の評価基準が、これまでの歴史上あり得た事がないほどに多様な時代であると言っても過言ではないかもしれません。そんな時代の中で「芸術(≒アート)」とは何かを改めて考える時、それは最早そう呼ばれる対象となる事物(つまりアート作品と呼ばれる物)自体が何という話ではなくなり、鑑賞者が何を見て「これはアートだ」と言いたいかという問題にシフトしつつあるようにも感じます。
 自由美術が台頭し、作り手次第で作品の形態や様式の自由が許されるようになった中で、「これはアートだ」と指差される物の数は途方もなく増加しているように感じる最近です。そしてそのセリフを叫び指差す側は、作品の作り手である作家も含め、当然ながら作品本体から見て外側にいる人々です。真のアートというものは、今や「これである」と指差す個人の数だけあり、そしてその作品を見る個人にとっては、その作品が真のアートであることは実際に紛れもない事実です。
 では個人の意見という枠を超え、社会という大きな括りで見た時に「これが真のアートです」と見なされることが許された作品とはどういう物になるのでしょう。それは結局のところ、誰がそのお墨付きを与えたのかが重要になってくるものだと思います。お墨付きを与えた「誰か」に最もらしい肩書きがあり、その人物が属する集団の中において強い発言力や支持率を持つ者であるのなら、そのお墨付きは容易に当該集団の内側で真実として扱われます。そして皮肉なことにその流れの中に置かれた作家や作品そのものは、真のアートとは何かを決める動きの中において、最も重要な事項と言うわけでは無くなります。現社会を見る限り、そういう形で物の価値や定義が決まることはアートの世界に限ったことではなく、歴史を振り返っても、人間集団におけるこういった傾向は、様々な業種・業界の中で恐ろしいほどにありふれてきた事実かと思います。
そういう前提があるものとして考えてみるならば、結局のところアートの定義というものは個々人の主観から逃れられない性格があり、当然ながらその内容やレベル感は個々人によって大きくばらけてくるものでしょう。さらに今はSNSの発達により、著名人や専門家でない個人が自身の考えや意見を社会へ発信することが信じ難いほどに容易となりました。気まぐれに発せられた言葉が思いがけない扇動を生み、すさまじい影響力を得て、時には発言者自身の手にも負えなくなってしまう事象は、誰しもの手のひらの中で最早日常となったように感じます。そういう時代背景も踏まえながらアートについても見てみると、様々な価値観や考え方を持つ人達が、各々が信じるアートという事物現象を指さし合っている様が可視化されたとも言えそうです。しかもそれは必ずしも大きな統一性を持つわけではないので、芸術とは何かを考える時の判断基準や価値の在り方は、現代社会の中においてどんどん空中分解していき、その概念はさらなる混沌の中に散らばりつつあるように思います。
 ただ一点、今も昔も芸術作品の普遍的な事柄として言えるのは、作品と呼ばれる物は必ず誰かが作ったものであるということです。その動機や目的、技法や工程は数多くあるでしょうが、その事物が存在するきっかけとなる一番最初のところには、必ず生身の人間が関わっています。そして実用的な道具を作るわけでもないので、最終的に出来上がるものは言ってしまえば社会における路傍の石のような存在なわけですが、他の目的や用途がまるで無いからこそ、作り手の人間性を純度高く反映させることを可能にしていると思います。芸術とは何かを考えることは、そうやって作られる物理的な実用性や役割を持たない存在が、アート作品という価値を帯びるかどうか…そういった種類の問いをずっとこねまわしている事のようにも思います。

 「アート」という言葉の肩書が添えられる事物と対峙した時、その内容によっては何とも言えない違和感を覚えた経験がある人は少なくないかもしれません。その違和感の正体について推測してみるのであれば、それは「これをアートと呼びたいか否か」という、それを目にした人の中へと無条件に投げかけられる問いそのものではないでしょうか。そしてその問いを各々自分なりに推し進めて考えてみるのであれば、自分自身は果たしてどんなものを「アートである」と言いたいかという、ある意味で根源的な議題を自分自身に向けて考えることに繋がっていくのかもしれません。自己の中で湧いたその問いへの自分なりの返答、言ってしまえば鑑賞者個人が持つ理想のアート像の内容は、そのままその鑑賞者自身の人間性 ― その人の人生観や今時点における精神の深度、あるいは生きる上で重要と考えている主義や価値観等々 ― に自然と紐づいてくるだろうと思います。日本では「アート」という言葉を冠に、展覧会を始め様々なイベントや企画が開催され、その中には素晴らしい企画がたくさんあります。しかし一方で、物によってはその在り様に対して小首を傾げたくなるものも多々あるのが正直な現状かと思います。大抵のイベントや企画内容というものは、その主催者の考え方や精神性レベルがそのまま内容に反映されることが多いと見受けられ(そして人が手掛ける物という点において、その反映の形は、芸術作品に作り手が嫌でも反映されることと全く同じ性格を持つと見ています)、自ずと「アート」という単語の使い方にもそれが反映されることは不思議ではありません。なので、人がつい小首を傾げてしまうそういった場面に出くわした時、その人が小首を傾げたくなる対象はそこに置かれた「アート」という単語やその定義に対してだけではなく、そのイベント主催者の芸術への考え方や扱い方に対してでもあると言えるのかもしれません。

 そういう風に現状の「アート」という言葉を眺めていった上で、自由美術が広く受け入れられた現代における芸術(≒アート)という現象を、僭越ながら私なりの言葉で仮定義してみようとするならば、それは「人間の精神性そのもの」であり、芸術作品とは「作り手である人間の、作品制作当時の精神性の痕跡物であり、過日にその精神が在ったことを示す事実そのもの」であると思います。繰り返しになりますが、人の手掛けた事物は、その事物に実用的な用途や目的が無ければ無いほど、作り手にその自覚があろうが無かろうが、その人間性が嫌でも反映される面があると見ます。だからこそ芸術というものは、それに触れる個人へと心的な側面からダイレクトに影響を与えたり、深い内情の中で強い支えになり得る現象であると考えておりますが、芸術作品を受け取る側、つまり鑑賞者は、そこに宿る精神性が自分に近しい物や共感・共鳴できる作品に反応しやすい傾向があると思います。この傾向自体は恐らく本能にも絡む人間の特性のひとつではないかと察しますが、それ故にあまりに自身の心からかけ離れているものについては、そのレベル感が自分に対して高すぎても低すぎても、途端に未知なる存在となり、受けつけにくくなってしまう面があるのではないかと、これまで多くの人たちが様々な作品と対峙する様子を見ながら感じてきました。
 どんな物に対してアートという言葉がよく使われているか、そう呼ばれることを許す傾向にあるか、あるいはどういうシーンで使えば都合が良いか…冒頭で述べたようにその在り様は細かく見出すと実に多種多様で、正直キリがないと思います。ですがその中でもメディアや公の場で見かける「アート」という言葉は、どういった内容や場面に使われる事が多く、疑いもなく多くの人々に受け入れられるものはどんな性質の類が多いか。もし私が先ほど仮定義させていただいた形で「芸術」というものを考えるのであれば、「アート」という言葉がよく添えられる事物の種類や内容、疑問少なく受け入れられやすい場面から、その社会の精神性や趣向性のリアルタイムでの平均値を捉える事が出来るのではないかと思います。社会という大きな括りで考えるとつい漠然としがちですが、あくまで社会は個人が集まって組み上げられる集団であるため、それは私やこれを読んでいるあなたも含めた、今この社会集団に属する人間の精神レベルの平均値です。そうやって紐解いて「アート作品」と呼ばれるものを見つめ直してみると、今自分がどんな世界に身を置いているのか、その現実が自ずと見えてくるように感じられます。

by Mikiko

(2025.5.6 メモより)

​03

 大学時代に文化人類学を学んでいた頃お世話になっていた恩師の言葉に「在るから見るのではなく、見るから在るのだ」というものがあります。自己の外側に広がるフィールド上にひとつのモノが置かれている時、客観的にそのモノが存在することは間違えなく事実であり現実であったとしても、そのモノに自分が全く気付かなかった場合、それは自分にとって存在しない事に等しいです。自分が立っている場所の地続き上に存在している物事は、たとえその存在が自分の五感のいずれかに触れていても、その信号や刺激を意識的に捉えることがなければ、その存在が「私」に認識されることはありません。人がそれに意識を向けた上でそれを「見る」ときに、初めてその他物はその人の中で「存在」を得るというシンプルな事実を端的に示したこの言葉を、私は芸術作品と対峙する中で幾度となく反芻してきたように思います。
 数か月前、某所で再評価中とされる物故作家の回顧展を拝見しました。没後キリのよい年数であったこともあり、その作家の展覧会の中では最大規模だったようで、大正から昭和にかけての人生で描かれた写実表現作品群を一挙に見ることができました。率直な感想としては、決して悪い印象は無かったものの、これまで無名でいた理由が何となく見えてくるような、あと一歩何かが確実に足りないままに生涯が終わってしまった、そういう歯痒さを覚えるような印象の回顧展でした。その一歩が何であったかについて、細々と思うことは様々ありますが、それとは別にひとつだけ、展覧会として印象に残った事を書いてみようと思います。

 今回の展覧会にはメイン作家の作品の他、同時代の日本人洋画家作品も参考程度に何名か紹介されており、その中に岸田劉生の静物画が2点ほどありました。不意打ちに近い形で岸田作品を目にした時、この画家達の中において岸田劉生のモノを見る眼差しが一段深く異なる地点にあり、その独特さがじわりと際立つような感覚を覚えました。今回のメイン画家も岸田劉生からは影響を受けていたようで、似た構図や同じようなモチーフの絵もあり、その作品と繋がるような岸田作品も展示されておりました。展示企画者の意図としては親切な参考資料の提示という意味があったのでしょうが、それは却って岸田劉生が持っていた感性の異質な鋭さと独自性を引き立たせ、今展の主役を含めた他作品の物足りなさを浮き彫りにしてしまうような残酷さがあったように感じます。その違いがはっきりと現れていた点のひとつとして、描いた物的モチーフの「裏」に対する意識の有無があります。モチーフの裏側ないし裏面は、平面絵画の中で直接描かれることはありませんし、二次元上である以上それは不可能でもあることです。ですが縦と横にしか筆を運べない制約の中で、岸田作品からは描かれた物の裏側、つまり視点を固定した際にどうしても見ることが出来なくなる面、そういった角度からの視座も意識として持ち続け、全てを直接描くことは出来ずとも、三次元上の存在を成す多面的な要素を可能な限り平たい画面へと落としていったような、ある意味で執着にも似た存在への追究を感じさせるものがありました。意識をどこに置くか、あるいはどこまで広げて留意するか、その心持ちひとつで描かれるものの輪郭や線の角度等、その筆致はひとつひとつ微妙に変わってきます。岸田劉生のそんな外界への眼差しと実存する物体に対する、ある意味で非常に忠実とも言える、容赦ない追究を生の絵肌でダイレクトに食らった後に他の作品を見ると、立体的な描写を目指したと思われるほとんどの絵の中においてモチーフの見えない側面への意識の欠落が目立ち、写実的な描写だからこそ強い違和となって目に映ったように思います。絵画作品を見ることは、その描き手が何をどう見てきたのか、その内情に直接触れることが出来る機会であると思いますが、同時にその眼差しが何を捉えていなかったのかについても嘘偽りなく見えてくることがあります。絵を見る人に対して立体的な印象を与える技法や描き方等は多くの教科書に細かく説明されていますし、鍛錬を重ねさえすればどんな描き手でもある程度のレベルまで上達出来るでしょう。実際に描写に使うテクニック自体は岸田劉生と他の作家との間で、特筆するほどの差はあまり無いとも思われました。ですが一人の固有な画家であり人間として、その個人ならではの味を画面に宿せるかどうかについては、自分がどんな風に世界に向けて五感を開き、それにどう接しながら自己を形成してきたのかという、人間としての独自性を確立していく文脈の中で育まれるものであり、さらにそれを作品の中で発揮出来るようになるかどうかについては、絵の技法書に載る内容を履修したその先の、先人による道しるべなど何も無くなった領域での話です。

 そう言った意味で今回の回顧展からは、外界を眺める自分なりの視座とその強みを、画家として作品の中で十分に発揮出来るようになる前の発展途上の最中で、80年を越える生涯が終わってしまったような後味を覚えました。決して早逝ではなく、むしろ長生きと思われる生涯を通して絵を続けながらも、最後まで確固たる自分のオリジナリティを表現の中に確立し得なかった作家というものは、絵画に限らず気が遠くなるほど多いでしょうし、むしろそれがほとんどと言っても過言ではないと思います。ですが単なる自己満足を超えた「自己表現の世界」とは元来そういった性質の生業だと思います。そういう直視することも辛くなる厳しさがこの分野の世界にはひとつあると、この度の回顧展で改めて目を見張るようでした。
 

by Mikiko

(2025.9.28 メモより)

​03.5

(03への追記)

 拝見した展覧会の作家が今現在において再評価中にあることを考えると若干クレームを出されそうな事を書き連ねましたが、一点この画家の魅力だと素直に感じたものとして、薄明かりの色感がありました。夕方から夜になる直前の「黄昏時」と呼ばれるあの明暗や、暗い空から柔らかに降り注ぐ月光描写等、色の境目がはっきりしない濃淡の表情には抵抗感なく惹かれるものを感じたことは事実です。写実描写に縛られず、この色彩感を主体としてもっと異なる方面からのアプローチが出来ていたら全く別の形で何かが開けたのではないかと、自由美術が進んだ時代にいる私は安易に思ってしまいました。ですが冷静になって当画家が生きた時代背景を考えると、既成絵画の型枠を壊しながら自由な絵画表現のあり方を進めたり自分なりの新たな価値観や形式をゼロから生み出すこと自体、そもそもその発想に至るかどうかも含めて、今と比べて非常に難しいものがあったと想像します。世界的に見ても抽象画どころか印象派的な表現もまだしっかりした評価が成されていなかった時代で、西洋絵画が輸入されてからまだ歴の浅い日本において既存の型から大きく外れるようなことをやろうしたならば、絵を描くこととはまた別のすさまじい胆力が求められたでしょうし、そもそも評価の対象にされず作品自体も残ることが出来なかったと察します。そう言った時代的な事情も含め、その画家固有の表現を発展させることに関しては、何とも言い難い歯がゆさを覚える限界も回顧展からは感じられるようでした。

 

 自分の中に在るものを大きく制約されることなく他者へと伝えていけること、これがいわゆる「表現の自由」と呼ばれる権利へと繋がることだと思いますが、表現する内容から形式においてまで、その自由さが真の意味において時代の進みと共に広がり続けてきたことは、自身が身を置いた時代的な限界を背負いながらももがいてきた様々な分野の過日の個人たちが、その人生を断片的にでも後世へと残し、次の世代がその断片を基に新たな事柄へと繋いできた大きな繰り返しの中で、徐々に勝ち取り育ててきた権利でもあるように感じます。そう考えるならば、令和の社会を生きる私達は一昔前と比べれば成熟の進んだ自由を享受しており、それは最早当たり前のような感覚の社会になりつつあるため、それがどういう事であるのかについてはあえて意識を向けることもあまりないのかもしれません。ですが物事の隅の方から音もなく消しゴムがかけられ、気がつくと大部分が消されてしまっているような類の危険と常に隣り合わせにあるくらいには、その自由は今日においてもまだまだ脆弱な段階にあると思います。

 

 自分の周囲に流れる情勢の風向きとその速度感を日々過ごす中で肌になぞりながら遠く過ぎ去った時代の遺物を眺めることは、私にとって普段意識が届かない事柄へと思いを馳せる機会にもなることが多いです。恣意的に要不要を選ばず、可能な限り先入観を捨て、壊されてしまうあらゆる危険がこれまでに何度もあっただろうにも関わらず、それでも今も尚在り続ける物事へ自分なりの眼差しを投げ、返ってくる無言の声に自分なりの耳を傾けること。今はもう終わった時代のモノ達とそうやって対峙してみると、自分が今立っているフィールドの下に在る幾重にも折り重なった時代の層に、少しだけ触れることが出来るように感じます。

by Mikiko

(2025.9.28 メモ続きより)

​04

 当画廊で企画展をお休みしてから早くも1年半ほどが経ちます。画廊をやっていると勝手に経済的に余裕があると見られがちなのですが、私自身に関して言えばそんな事は悲しいほどに何もなく、いわゆるスポンサーのような贅沢な後ろ盾も皆無であるため、恥を承知で言うのであれば、そういう結果としてメイン営業を休みにしたと言っても過言ではありません。自分がやりたいやり方で画廊業を組み立てるにはどうしても成長に時間がかかる仕事だと痛感したため、画商である前に未熟な事業者として、限られた資金で何とか細くでも長くやっていけるスキルを身に付けたいとの思いから、企画展お休み中の間はこれまで未経験であった経理の仕事に就いている今現在です。平日はフルタイムで都内某企業経理部の派遣社員としてパソコンを叩きながら数字を目にする最近ですが(そのために現在の開廊日は土日に少しという形なのです)、やってみれば経理というお金回りの仕事もなかなか面白く学びがいがあるものです。さてそんな風に日々通っているオフィスビルにて、個人的に少し面白い出来事があったので書いてみようと思います。


 仕事先のビル1階のエントランスには、わりと大きいブロンズ像が一体置かれています。建物に入ってすぐ、真正面から直面する形で設置されているのですが、ややパブリックなスペースでありつつ、芸術に直接関わる会社は現時点で一つも入っていないオフィスビルにある彫刻にしては妙に目を惹く幻想的なフォルムと無言の魅力があり、面接で初めてこのビルに来た時から「何でこの作品はここにあるのだろう」と気になっていました。この場所へ勤めるようになってから毎日このブロンズ像の前を通って行き帰りしておりますが、私にとっては完全に日常の背景に溶け込むことがなく、折に触れては何かと目が留まり、それとなく見上げたりしております。像の付近にはキャプション等、作品や作家に関する情報が分かるものは一切無く、同じ会社の方に尋ねてみたところ、会社がこのビルに入った20年以上前の時点で既に置かれていたそうなのですが、誰も詳細を知らないそうです。勤め始めたばかりの頃に軽くWebで調べてみましたが、ビルの建物情報は出てきても彫刻に関してはビル情報の内観写真に少し写っている程度で、作品の出自に関する事やそこに置かれた経緯といった詳細は何も出てきませんでした。仕事でビルに出入りする人達にとっては日常風景と化しているためか、その像をあえて鑑賞しているような人を私はまだ見たことがありません。私自身もその前を通るのが仕事前か仕事終わりかになるため基本的に時間が無く、ゆっくり鑑賞することがあまり出来ないままでした。ですがつい先日、たまたま人が誰もいないタイミングにて、始業前に少しだけいつもより長く立ち止まってみました。人型の存在と牛か馬かの胴体を思わせる形が正面から食い込むように合体したシルエットで、ケンタウロスを彷彿させたかと思えば、臀部が人間のものと動物のものとで2つあります。何とも言い難いユニークさと少しばかりの畏怖、それでも全体的にはさらりとした優美と温かみとがあり、改めて心掴まれるものがありました。洗練された几帳面さと空間に遠慮なく広がる大胆さが安定感を持って融合するイメージからはシュルリアリスム美術を思い出させるものがあり、そういう印象から漠然と日本人作家ではないだろうなとは考えておりました。ちょうど動物側のお尻を覗き込むような角度に回って見ていた時、ふと彫刻の足元のさりげない箇所に作家のサインが入っている事に気づきました。大きく「M」と掘られた横に向きの異なる文字列で「M Mascherini」と識別できた時、その像に少しだけ近づけた気がして自分でも意外なほどに嬉しいものがありました。早速そのサインをメモしてWebで調べてみたところ、マルチェロ・マスケリーニ(Marcello Mascherini)というイタリアの彫刻家のサインであることが分かりました。日本語で検索をかけてもあまり情報が出て来ず(それでも国内に数件、作品を所蔵している美術館はあるようです)ローマ字表記で検索をしたところ、マスケリーニ氏の作品や経歴をまとめたイタリアの専門Webページに辿り着きました。イタリア語はまるで読めないのですが、幸い英語表記があったため、勉強中の頼りない英語力でbiography情報をざっくりさらったところ、1920年代〜1970年代をメインに活動された彫刻家で、国際的にも評価され、イタリア国内では注目され続けた彫刻家の一人のようです。日本でも1968年と1972年に都内で個展が開催され、また箱根にある彫刻の森美術館にも2体ほど大型彫刻作品が収蔵されたとの記述がありました。日本にまつわる事はその点のみが軽く書かれている程度でしたが、関連資料として3枚ほど写真の掲載がありました。うち2枚は彫刻の森美術館へ作品が収蔵されたことに関するもので、モノクロ写真に時代を感じつつ、そこに写る作品と作家ご本人の姿を趣き深く拝見する流れで3枚目の写真もクリックして開いてみました。そこには作家と日本人アートディーラーと記載された人物がツーショットで写っていたのですが、その背景に置かれていた大きめの作品に目をやると、なんと私が毎日オフィスビルで眺めているブロンズ像それでした。流石にこんなにダイレクトな情報が入ってくるとは思っていなかったので驚きつつ、それから時間をかけてWebページを見ていくと、展示風景の写真や刊行された作品集の表紙など、他複数の掲載画像からもその作品が認められ、自分の中で体温が上がるような思いでした。
 さてそれから数日後、改めてマスケリーニ氏のサイトを見たときに、丁寧に作品写真がまとめられたアーカイブページがあることに気が付きました。そこにも私が毎日挨拶している作品の掲載があり、比較的代表作に入るものだったのかなと閲覧していたのですが、作品写真下部に小さく記載されたローマ字表記の日本語に目が止まりました。ここでは具体的な表記は避けますが、その響きにどこかで覚えがあるなと脳内検索をかけたところ、それはお世話になっているオフィスビルの持ち主の名前で、私は自分の仕事柄その名前を毎月預かるテナント料の請求書で見ていたのでした。ビルの持ち主は個人ではなく企業なのですが、美術と直接的な関りが無さそうな業種のため、時代柄何かのタイミングで購入したのだろうと考えつつ、何の気なしに持ち主である企業のWebサイトで会社沿革を眺めていたのですが、驚くことにこの企業自体が平成初期に美術ギャラリーを立ち上げていたことが分かり、さらにそのギャラリー代表者がまさにマスケリーニ氏とツーショットで写っていた日本人アートディーラーであったことまで判明しました。さすがに全く予想していない展開だったので心中は叫び出すような思いでしたが、企業ページでは10年以上前に美術事業から撤退とあり、そのタイミングでギャラリーも無くなってしまったようでした。

 

 素性が分からずともそこを毎日行き交う様々な人達の無意識下で受け入れられ続ける美術作品には、作品そのものに一種の独立した力があると思います。あえて関心を向ける人の少なさよりも、エントランスという嫌でも多くの人の目に入るような場所で大きく空間を占めていながら、特に邪険にされることもなく、景色の自然な一部のように長期に渡って溶け込み続けられることは、そう簡単なことではないと個人的に思います。作家名や制作年、そこに置かれている経緯等、文字による価値の説明や肩書など不要なほどに、無言のままモノとして確固たる存在を携える力強い美術に出逢えることは、画商として光栄に思う体験です。その上で個人的に懸念していたこととしては、あまりに作品について詳細を知る人が周囲におらず、日本語で調べても情報にたどり着けない今の状態で、例えばビルを改装する等、建物自体に大きな工事が入ることになった際に誤廃棄されてしまう危険が捨てきれない点でした。変わりゆく時代と移り行く人々の流れの中で、後世に対して作品の詳細や作品を受け入れた人たちの意向が上手く受け継がれず周知されていない場合、作品自体は同じ場所に在り続けながらも匿名状態へと変わっていってしまうこともあるのだろうと、今回マスケリーニ氏の彫刻を眺めながら感じました。そういう状況にある美術品にとって、持ち主が居なくなってしまう時や、置かれている建物自体が改修や取り壊し等で大きな転換を迎えるタイミングはまさにひとつの峠となり、時代のふるいに掛けられる瞬間になるのだろうと、時々目にする美術品誤廃棄のニュースを思い出しながら察します。ただ今回の件に関して言えば、持ち主に上記のような経緯があることが分かり、少なくとも全くの匿名状態にはなっていないだろうと期待できるので、その点については個人的に安堵するものを感じております。(それでももし可能であるのなら、最低限キャプションを作って置いてあげたい想いが自分としては密かにあります。)

 

 以上、個人的な興味から始まって個人的にひと段落したエピソードとなりますが、自分の中ではとても豊かな冒険をさせていただけたような気持ちでした。経理業をやらせていただいている勤め先も美術とは直接関係のない企業であることを考えると、一連のことは全て偶然に過ぎませんが、自身の立場を鑑みるとこんなに面白い偶発的なご縁も珍しいなと感じる機会でした。ここから何かが変わったわけではありませんが、当画廊が企画展を再開する直前の来年夏頃までは引き続き毎日このビルに通うので、もう少しの間、日々の中でこの彫刻作品を眺めたいと改めて思います。

 

by Mikiko

(2025.11.29)

​05

 画廊と美術館の違いについて度々考えさせられる機会があります。当画廊に初めていらっしゃる方の中には「ギャラリー自体に初めて入りました」という方も少なくないのですが、そういった人でも美術館には馴染み深いという方は多いです。美術館のキャプションを見慣れているため、画廊のキャプションを見た時に販売価格の記載があることに新鮮な印象を受けたという方もいれば、「購入出来る」という事実にハッとしたと話される方もいらっしゃいました。こちら側にとっての当たり前が、全く当たり前ではない人の方がこの社会には圧倒的に多いということを思い出すこうした機会は、画廊を営む者としても都度新鮮な気持ちになりますし、同時に忘れてはならない何か大切な事への感覚が調律されるような気もして、そういったお客さまの来訪は自分にとって貴重な機会だとしばしば感じるものです。
 「画廊と美術館の違いは?」と改めて問われたら、どちらも知る人はどう答えるのでしょう。美術作品を展示公開するという表立った活動の形は一見するとよく似ています。ですがその活動の運営目的や経営方法、民間であるなら業種分類は大きく異なります。日本において美術館とは博物館の一種であり、博物館法を参照するのであれば「博物館」とは法の規定に基づいて登録を受けた施設が該当し、その主たる目的は歴史資料や美術品、自然史資料、動植物等「資料」の保管や調査研究、収蔵した資料を展示という形式を通して一般の人々へ開放し、その教育や学術及び文化の発展を目指すことが活動のメインとされています。対して画廊とはあくまで美術作品を扱った販売業です。貸し画廊と呼ばれる日本特有の画廊形式はレンタルスペース業に分類されると思いますが、画廊を企画者とする展覧会等で作品の販売を行う企画画廊は小売業(場合によっては卸業)に入るでしょう。もちろん他にも画廊によってこれだけでは分類できない様々な経営の形があると思いますが、その運営はあくまで美術品を売ること(貸し画廊であるなら展示希望者へのスペースレンタル料)によって得る収益で営まれ、運転資金の自主財源を入場料や展覧会に関係する物品の販売等でまかなう美術館とはこの点で大きく異なります。
 また展覧会でフォーカスする作品ないし作家について、画廊はあくまでリアルタイムで活動しているアーティストや、過去の時代のものでも市場に作品ストックと需要が残る作家の作品をメインとします。経営方法を考えれば画廊はあくまでモノを売っていくため、新しい作品が生み出されない物故作家を扱うことはどうしても限界があります。一方で美術館はそういった限界は無いため、展覧会で扱える作家や作品に時代的な制約はありません。ですが上述の博物館法に基づく運営内容を求められることや、国立や公立であるならば主だった活動財源は国や自治体からの予算や交付金であることから、収蔵する美術品や開催する展覧会名目には、ある程度の社会的評価が既に定まっているものが求められることも多いと見受けます。そういう意味ではまだ評価が定まっておらず、今なお発展途上の最中にある表現家の現在地点を紹介し、良くも悪くも未知数なその今後についても最前列で見続けていくことが出来るという点において、画廊の展覧会には美術館の展覧会とはまた異なる面白さと一種のスリルがあり、その内容は展示企画者次第で如何様にも豊かに出来るものかと思います。
 美術館に収蔵されるに足る美術作品とは何であるかについても時々考えさせられる機会があるのですが、未だに簡潔な一言で表せる言葉が見つからずにおります。そもそも博物館自体が個人経営から国立まで様々なので、結局のところその基準に一律制は無く、収蔵先であるミュージアムがどんな主義や思想を持っているか、何を重んじて資料を収集しているのかによると察します。ですがどんな美術館や博物館であっても新たにモノを収蔵することが決まった場合、それはそのモノが当該館にとって「未来へと保管していくに足る価値がる」と判断された結果かと思います。近現代に生じた比較的新しいモノから何千万年前と気が遠くなるほどの過去に作られたモノまで、その中のどれがそれに該当するのかは、それを取り巻く他の資料や情報の現時点での価値も含めて、最終的にはその博物館が置かれている社会や時代、文化の現状に基づきながら、博物館の主観で選別されると言っても過言ではないでしょう。


 どのようなジャンルの博物館であっても、そこに収蔵されるに至った「資料」には語りつくせないほど様々な歴史や時代的背景、特有の経緯がそれぞれにあると察します。美術館に収蔵・展示される作品についても、その作品が生まれてから美術館の展示品として陳列される今日に至るまでに作品が辿ってきた紆余曲折は、まさに人間の人生のように気が遠くなるほど様々な事情と経緯が作品ごとにあるだろうと想像します。その中で、西洋圏において美術商が確立した近代以降の作品については、作家の手元から他者へと渡った一番初めの契機の場が画廊であったことは少なくないと思います。今では巨匠と呼ばれて美術の教科書に載るような画家の作品も、始めから揺るがない評価を築いていたわけでは決してなく、その新作がリアルタイムで画廊の中で発表された際は当時の鑑賞者や評論家によって評判は良し悪しが大きく織り混ざったでしょうし、そもそも最初は注目すらしてもらえなかった作品も数多くあったでしょう。いわゆる「定評」が成されたのが画家当人の亡くなった後のずっと先の時代であったケースは決して珍しくなく、真新しく鋭い感性や発想に周囲が追い付けないという現象自体は、時代を問わずあらゆる分野で繰り返し発生してきたと思います。新しいものを生み出し社会へと提示することが作家にとって挑戦であることは確かですが、それをどう受け取りどう扱うべきかを突き付けられる展示企画者を含んだ目撃者もまた、難ある挑戦を同時に強いられているという事実は往々にしてあるだろうと感じます。作品に社会的に約束された価値が生じる前の、玉も石も混沌とした状況の中で、画廊はその作家と作品を自分の目で判断し、その上で企画者として展覧会を開催します。そしてそこへ来場した人たちが自分の判断で作品を選び、日用品よりもはるかに高額な金額と引き換えにその作品を所有することは、そのままそれが時代を象徴する社会的価値を帯びる始めの一歩になると考えます。現代では当たり前のように尊敬され、その作品を一目見るために長蛇の列が出来るような過去の作家作品も、その尊い価値の最初の土台は、作家と同じ時代に確かに生きていた人々 - 今はもう名前も残っていないような一般の人も多いと思います ― が自分の目を信じたことによって徐々に築かれていったものも多いでしょう。形式の違いや変化はあれ、画廊での展覧会は(日本ではあくまで企画画廊において)今でもその本質は変わらないものであると思いますし、変えずにいられるものでもあると思います。一度そうやって誰かの手に渡った作品がその後も所有者に大切にされるのであれば、その作品はそうではないものと比べ、最初の所有者がいなくなった後もその意思を汲んで後継してくれる人が続きやすいでしょう。そうやって作品そのものと「大切にされるべきもの」という過日の人々の意思が共に時代を超え、何人にと受け継がれたその先に美術館があるとするならば、今現在画廊という場から他の誰かへと渡った作品は、その全てが必ずとは決して言いませんが、遠い未来の美術館に置かれる可能性へと繋がっていくのではないかと想像します。時代を超えて大切にされた実績を持つモノは何であれ、それが個人的な所有であっても状態が非常に良いままであることも多く、後世の中で何人にも受け継がれているのであれば、時代や社会の価値観が移り変わっても共有することができる無理のない魅力や何らかの真価がそこに在ることも多いでしょう。壊そうと思えば簡単に壊せるにも関わらず、そうやって存在し続けてきた、あるいは積極的に守り続けられてきたモノが、個人の所有という枠を超え、時代を超えた人類の共通財産として今後も守り残すべきだろうと判断されていくこと。「文化財」と呼ぶべき財産はこうやって築かれるものだと思いますし、そういった財産を丁寧に保管しながら今を生きる人々に開放していくことを可能にするものとして、ミュージアムという概念はこれからも社会に在り続けてほしいです。
 そうやって大きく俯瞰して眺めるならば、画廊という場は今を生きるひとりである作家がそれぞれの思いの中で手掛けた作品を、時代という大海原へ放っていく小さな船出の場という役割を担えると思います。その中で年月を越えて消滅することなく残り続けたモノが未来の文化財となった時、流れ着いた先のひとつに美術館が在るのではないか。画廊と美術館の違いや関係性を考えた時、個人的に頭に浮かぶものはそんなイメージです。

 

P・S

 画廊や美術館をはじめとする博物館の在り方は非常に多様であり、国によってもその在り方や扱われ方は大きく異なります。さらに今現在も時代と共に止まらない変化の最中にあるものと認識しております。そのため、ここで書いたような内容に合致しない画廊や博物館も多くあるかと思いますし、文化財というものへの考え方も人によって様々かと思います。あくまでこの文章は日本の中で私が見聞きしてきたこれまでの経験やそこから感じたことに基づく私見であり、さらに言えば個人的な願いにも似たニュアンスが反映されているだろうことは、あえて明記させていただきます。

by Mikiko

(2025.12.30)

​06

 ここに書くことかどうかたくさん悩みましたが、やはりどうしても書いておきたいと思ったことを記してみます。


 今の社会や世界情勢を見ていて、言葉に出さずとも静かに不安を抱えている人は少なくないと思います。先行きが見えない経済状況から来る目の前の生活への不安、戦争の足音が聞こえてくるような不安、スマホの中を飛び交う言葉の鋭さに抉られる不安、何も知らない子ども達の無邪気な笑顔を見てその将来に抱く不安…本当に様々な種類の不安が、様々な形態と方法をもって、様々な立場の人々に押し寄せてくるような昨今です。実際にこのような世情の中で、絵を売るなどという呑気な仕事がいつまで許されるのかと考えることは私自身しばしばあります。社会に余裕がなくなったとき、経済的に真っ先に切り捨てられるのは私たちの仕事だと思います。だから他の職業の人たちよりも一層、文化芸術を生業にする人々が肌で感じる不安や危機は鋭く強いことが多いのだろうと察します。

 2/8の衆議院選挙を前にして、政治的な思想や考えをここに述べるつもりはなく、そもそも私自身が一つの思想を強く支持する考えを持っておりません。ただひとつ私が一番怖いと感じることは、思想や立場の中身がどんなものであるかを問わず、権力がひとつの考え方に集中することです。例え多くの人に慕われるような思想や人物があったとしても、そこに対して権力が一点集中することは、歴史を振り返るほどに、この現象そのものに一番の恐怖と危機を覚えます。願わくは、私は様々な考えを持つ人々が並行して共存できるならと考えております。
 例えば目の前の国民生活を素早く安定させようとするならばこの人の考え方が良いけれど、世界情勢を鑑みた将来の安全を考えるなら全く違う人の考え方がベターになる、というようなことはいくらでも起こります。たくさんのジャンルのたくさんの問題の解決を同時に考えねばならないことは、本当に難しいことです。全てを一挙に解決できる、正に神様のような「ベスト」を持つ人物や思想というものは、いつの時代においてもほとんど存在してこなかったと思いますし、存在出来たとしても時代が変化するにつれ、自ずとその「ベスト」の内容も変わるでしょう。人間を取り巻く環境とその止まない変化、乱立するあまりに多くの事情等を背景に意識しながら、異なる様々な人々が横並びで共存し、互いに自分の目が行き届かない物事への配慮を補い合いつつ、自分達が生きる「今」を360度見ていこうと思索を巡らすこと。「多様性の尊重」を選んだ民主主義とは、そういうものではないかと私は考えます。
 「そんなものは理想論だ」と言われれば、それは実際その通りだと思います。それだけ民主主義国家が真の意味で平和的に成り立つことは、そもそもとても難易度が高いことであると考えます。一人一人が自分自身の人生と目の前の生活に係る責任を引き受けた上で、所属する国の政治について考え続けることを、一人一人に求められるからです。国民の誰しもが皆平等に骨を折りながら、苦心して物事を考えていかなければならない国家の在り方という観点から見れば、それを維持し続けることは決して易しいものではないでしょう。ですがそのたゆまない努力と苦労の思索とを引き換えにして、私たちは初めて自分とは生き方が異なる人々に対して「戦争をしない」という姿勢と意志を生み出すことが可能になり、戦争の無い平和とは、そういう自身のスタンスをあえて他者へと表明し、表明される中でようやく保たれる状態ではないかと思います。(そういった文脈において現行の日本国憲法第9条の存在を考えるならば、それが一国の憲法として明文化された状態で在るという事実は、その事実そのものが平和的な姿勢をあらゆる他国に対して「表明する」という役割も自然と担ってきたと思います。)

 今の日本の人々を見ていると、民主主義を望む人よりも「有能な人格者による独善的な政治」を無意識に望んでいる人が多いように感じる時があります。しかし先に述べたように「ベスト」を持つ人間はそうそう現れないことから、一箇所に権力が集中することを考えた際に、個人的にはどうしても危機意識を抱きます。その有様から思い起こされる事として、国境を越えた多くの人々の中で共通して「負の歴史」と認識されるナチス・ドイツのヒトラー政権の歴史があるからです。当時の資料や写真の古めかしさから、現代の私たちはその歴史に触れる機会があっても、印象的には「終わった昔の出来事」として捉えがちです。しかし高水準の失業率などで社会不安を抱えていた当時のドイツ国内で、彼の力強い演説や動きをリアルタイムで見ていた人々にとって、当初ヒトラーという人物はどんなに「有能な人格者」として目に映ったことだろうと想像しますし、自分たちの生活がきっと良くなると信じて票を投じた純粋な人々がいかに多くいただろうと思いを馳せます。諸説こそありますが、その支持率が9割を超えることもあったというヒトラー政権のその後の顛末は周知の通りです。そしてこの政権があくまで民主によって誕生したものであることも忘れてはならない事項です。ナチスの歴史を眺めることは、権力が一箇所に集中する危うさを見ると同時に、民主主義の諸刃のような難しさも眺めるような心地になります。当時のドイツ国民が抱えていた不安を想像した時、それと既視感を覚えるような不安が今の社会には滞留しているように感じられ、故にその歴史から決して遠くはない何かをなぞっていく最中に身を置いているような感覚に陥ります。異を唱えるものを排除したことで歯止めが効かなくなり、一極的な方向へと猛進したあの歴史前夜のイメージが、様々な不安定要素を見るたびに、近頃は嫌でも薄膜のように付き纏います。一昨日になって家にようやく届いた投票券を眺めながら、それが私の考え過ぎと杞憂に過ぎないことであってほしいと、切に願うばかりです。

 繰り返しになりますが、私に特定の支持政党は無く、故に私から他者へ投票を勧められる具体的な政党や政治家はありませんし、逆に否定したいものもありません。
 その上で投票権を持つ人へ個人的な願いを伝えても良いのならば、どうか自分の素直な心に立ち止まって向き合い、それに従って票を投じてください。周囲の人間関係への配慮等から身近な人との会話で本音が言えないことや、玉石混合の様々な情報にさらされる日常の中で本音自体が分からなくなることも多いかもしれません。その時々で他者に合わせなければならない場面は誰しもにあるでしょうし、その中で自分の立場を守る為に本心とは違う言動をとらねばならないこともあるでしょう。けれどもどうか、投票所で投票用紙に一人で書くものは、丁寧に拾い上げた自分のまっすぐな本音であって下さい。一人一人が自分の生活の中で抱えてきた本音を、投票を通して政治に反映させることは、小さなことのようですが民主主義の手堅く大切な手段のひとつです。何を優先的に重んじて未来を考えたいかは、暮らしの環境も経済状況も様々な個人の生活単位ごとに異なっていて当然です。だから一人一人が自分の本音を投じることで、自然と色んな人々の多様な考え方が投票結果に反映され、そこで初めて見えてくる今現在の社会の状態というものもあるでしょう。そうやって可視化された土台の上で、民主主義的なまつりごとはまず行われて欲しいです。そして私たちが投票用紙に託した本音については周囲の誰に対しても報告する義務も責務もなく、思想の自由が重んじられる現行の制度においては、そこまでも含めてあなたの権利は尊重され、守られるべきものになっています。(そして「現行の制度」というものは常に書き換え可能な状態であり、政治が変わることでこれまで尊重されていた物事が大きく覆ることは、案外簡単に発生し得ることも忘れてはならない人間の事実です。)

 意見が自分と異なることは、自分の目が届かない物事や分野へと、その人の視座が向けられているからかもしれません。それは私の能力では知るにも見るにも足りないものを補ってくれる、貴重なヒントになる存在だと信じます。
 小さな画廊を営む小さな個人の考えにすぎませんが、怖がり者の取るに足らない思い事をここに書き留めておくことをお許し下さい。読んでくださり、ありがとうございました。

by Mikiko

(2026.2.7)

(2026.2.9 追記)

 この度の選挙結果が出ました。個人的には概ね予想通りの結果となりました。

 万が一、現時点を子どもや若者として生きている人々が(場合によっては私が属する世代も該当してくると思いますが)、戦争の駒として武器を持つ日が先々に来たとしたら、どうしてそうなってしまったのかを振り返った際に「あの衆議院選挙が決定的な転換地点(ターニングポイント)になった」と言われるだろうと思います。新たな「負の歴史」の一端として、この度の選挙が未来の歴史の教科書に記載されることが決してないように、より一層の「慎重さ」と「視野の広さ」を携えた政治がここから行われることを期待します。

​06.5

 上記文章を掲載してから数日経ちました。その間、この度の選挙結果に対する様々な反応を目にしてきました。歴史と真摯に向き合ってきた人達からは今回の結果に対して一斉にアラートが発信されており、それは今までには無かったほどに強いものです。一方、期間限定派遣社員として現在お世話になっている経理の仕事先を通して、社会の中で見聞きするものはどちらかと言えばポジティブでありつつ、人々の感情面から言えばそこまでの大きな起伏も感じません。実に真逆な反応に一日の中で触れながら、自分なりに思考を進めたことについて書いてみたいと思います。


 06の追記でも少し書きましたが、この度の結果自体は一つの政党が圧勝することも含めて予想しておりました。それだけ時の指導者に対する期待値は、画廊から外へ出た先々の何気ない日常の何気ない話題の中で見聞きし続けていましたし、これまでと全く毛色が違う人物という観点からは私自身も期待を持っている面があることは事実です。その一方で、今回の結果に強くアラートを発する人たちの危機感も痛いほどに理解しており、同じ危機感は私自身も期待と並行する形で抱え続けていたために、上記の文章が書き出せた面があります。安全や経済が世界的に不安定な今現在の情勢の中で、過去の悲惨な負の歴史が繰り返される可能性を考えた時に、これまでストッパーとしての役割を果たしてきた多くの事柄に対し、そのリミッターを少しずつ外すような法律が可決されてきたこれまでのことも鑑みた上で、この度の選挙結果を考えるならば、まさに指導者のマインド次第で繰り返されてしまえる段階にまで進みつつあると思います。先の戦争の教訓から「戦争だけは絶対にいけない」と重みある言葉で忠告をし続けてきた人々が、世代の移り変わりと共にどんどん居なくなってしまっている今日の中で、歴史や思想の専門家も含んだ人々から発せられるこの度の強い警鐘音は、真摯に受け止めるべきだと思います。
 しかし一方で、このまま歴史が本当に繰り返されるのかと考えた時に、それはまだ決定事項ではないことも忘れてはならない事実です。どう転んでいくかは指導者のマインド次第というところまで来たとは言え、見方を変えるならば「指導者のマインド」というストッパーが残っているとも言えます。幸いにして今の時代を生きる私たちの多くは、程度の差こそあれ共通認識として「戦争=悪」という考えを持っています。先の大戦から100年の経過が見えてきた今日ですが、その間で私たちは世界にはあらゆる国と文化があることを知り、互いの考え方や文化の断片を共有し、日常の中で互いに楽しむ豊かさも学んできました。「国境を超えた先に存在する者もまた人間である」という認識を多くの人が持っている現状は、先の大戦時とは大きく異なる点だと思います。そのため共通認識としての「戦争=悪」という式が覆されること自体は(国内を見る限りにおいては)前時代よりも難易度が高くなった時代だと思いますし、故にもし先の大戦のような戦争が勃発したとすれば、文化的な営みを通じて国境の先にも人間がいることを知ってしまっている以上、その傷つき方はより凄惨なものになるだろうと想像します。
 そういった共通認識を時の指導者も持っていると信じた上で、民主主義国家を生きる私たち一般市民がここから出来ることを考えるのであれば、指導者として立つ人を決して孤独にしないという視点を持つことではないかと思います。今回の選挙結果は個人的に概ね予想通りであったと書きましたが、一点予想外だったこととして、投票率の高さがあります。これまでの選挙における投票率を考えた際に、今回の急な実施の決定や当日の全国的な悪天候を鑑みて、個人的には50%もいかないだろうと思っておりました。しかし結果は56.26%と比較的高水準であったこと、そして若年層の投票率が伸びたという点は意外でした。これまでよりもそれだけ政治に関心を持つ人が増えたという事実自体は、まずは素直に評価すべきことだと思います。民主主義において有権者の「投票に行かない」という行動は、本人の意思がどうであれ、自動的に「政治へ参加する権利と義務の放棄」を行うこととなり、それはそのまま「どういう結果になってもそれに従います」という意思表明になると思って差し支えないと考えます。なので例えば投票率が30%という結果があった際、政治を行う側からすれば70%の有権者に「好きなようにしてください」と言われるようなものです。その結果、政治家内での様々な不正や不祥事、あるいは的外れな政策等に繋がる一因になったと考えれば、国民の政治への無関心な態度がどういうものであったかが見えてくるのではないでしょうか。「投票したい人がいない」という言い分はよく聞かれますが、そもそも人気投票ではありませんし、全ての政治を丸投げ出来るような「ベスト」を持つ人間はまずいません。積極的に投票したい人がゼロなら、その中でも比較的ベターな人を選ぶ、あるいは自分が「この考え方だけは反対だ」と思う立候補者に対して、一番足を引っ張れそうな立場の立候補者や政党を選ぶ、どうしても票を入れたい先が見つからなければ白紙票を投じてその意を示す等、他にも考え方の選択肢はあります。現行の民主政治において民意が反映される正しいステップは、SNS等のみで意見や批判を述べることではなく、票を投じることです。サジを投げるように投票に行かなかった人々が多かったこれまでを思えば、今回の選挙結果はそういう意味でかなりの前進と見ることが出来ると思います。

 様々なイメージや先入観は別として、民主主義国家における政治家という仕事は元来とても難易度が高くハードであり、強いプレッシャーに晒されるものであるということを決して忘れてはならないと思います。私たちが安心して暮らすために、あらゆる分野のあらゆる課題の解決や克服、外的環境の変化に応じた改善策を考えながら取り組み続けることを、私たち一般市民から委任される職業であり、私たちの代わりにあらゆる物事に対して矢面に立ってくださる人達です。数多くの国民の命を抱える重みの中で孤独に立たされてしまった時に、正常な精神のまま潰れない人間などいないと思います。時に厳しく時に温かな眼差しをもって、彼女らの動きを自分事として注視しながら見守りつつ、私たちが参政権を具体的に行使出来るタイミングでは自分自身の生活を自分自身で見つめ直し、何も考えない無責任なイエスマンになるのでもなく、先々を考えて自分の意思を表明していくことが、真の意味で政治家を「支持する」ことであり、時の指導者を孤立させない姿勢ではないでしょうか。ヒトラー等、過去に負の歴史を作った多くのファシスズム的な指導者達のちょっとした逸話等を見聞きする際に、その人間性からそれとなく透けて見える「孤独」や「不安定さ」を感じる時があります。「ファシズムはそれを望む大衆が作り出すものである」という考え方を踏まえるならば、逆に強いプレッシャーの中で一人の人間を完全な孤独や孤高の地位に立たせまいとする有権者の態度と視座こそが、時の指導者のマインドが負の方向へ傾いていくことを防ぐ、ひとつの手段になり得るのではないかと考えます。

 ここに述べたことは単なる理想と綺麗事かもしれません。しかし、この度の結果に強い危機感を抱く一方で、今の指導者を支持したい周囲の人達との対話から見えたものを思えば、その心境も痛いほどに納得できるところがあり、その期待値へ安易に水を差すことも私には出来ませんでした。そんな最中でここからどうすれば良いのかを考えた、現時点での個人的な見解と思考をここに書き留めておきます。

 

by Mikiko

(2026.2.11)

​07

 「天才27の壁」という言葉があります。これは世間で「天才」として認められ、スターとしてもてはやされた若いアーティストが27歳で亡くなることが多いことから生まれたフレーズと聞きます。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、カート・コバーン等、私が存じ上げるのはミュージシャンが多いですが、画家ではジャン=ミシェル・バスキアが入ります。20代という若さでトップスター的ポジションにまで登り詰めながらも、結果としてそれが原因となったかのように精神が退廃的に沈んでいったケースが共通しているように感じます。まだ人間としても経験値が浅い20代という若さの中で、誰もが羨むような頂点に立った人の気持ちはもちろん当人にしか分からないことですが、「登り詰めた頂点には、その先から直接的に続く道は無く、目指すべき指標も消え去ってしまう」という状況を思えば、そこには凡人の想像では追いつかないほどの、恐ろしい空虚が生じるケースがあるのではと考える時があります。ある程度の人生経験を持つ人ならば、そういった空虚に対する受け身の取り方や、別の道を開拓する方法や発想も自ずと見えてくるかもしれません。しかしそれ以外の生き方をまだ知らない若い人が、その優れた感受性をもってそのような空虚に直面してしまった時、この先をどう生きればいいのか分からなくなってしまうような、まさに命取りになる程の恐怖や絶望に繋がってしまうことは、その人もまた人間であることを思えば想像に難くありません。あくまで私が知る狭い範囲の例にはなりますが、上記のアーティスト達を比較した時に、表面上の表現形式はそれぞれに異なるものの、そこに在ったであろう精神性にフォーカスを当てた時、その方向性と言うよりは精神性の「色相」と呼べそうな部分に共通する何かがあるような気がします。勝手な私見に過ぎませんが、そういう観点から過日のスター達を眺めると「27の壁(「Club27」と呼ばれたりもするようです)」にぶち当たる人達の傾向とも呼べそうな、うっすらとした何かを感じる時があります。


 話は変わるようですが、最近になってロバート・バーンズに興味を持つ機会があり、邦訳詩集を先日拝読しました。今年はちょうど生誕250年にあたるらしく、今でも世界中で愛されているスコットランド詩人ですが、邦訳本の少なさを見ると日本での認知度はそこまで高くないのかもしれません(閉店ソングでお馴染みの「蛍の光」の元となる原曲を作った人と言えば、少し身近に感じられるでしょうか)。全作品の8割ほどがまとめられた詩集を拝読して、自然や人間へと向けられる、その時代の一過性的な観点では片づかないようなバーンズの深い眼差しを通して残された言葉は、現代の中で拝読しても全く遠いものではなく、むしろ今を生きる何者よりも最先端を思わせるような、鋭く瑞々しい印象すらも覚えました。貧しい農民出身であったからこそ培われたであろう感性で拾われる自然界の巨大な厳しさと広大な美しさ、そしてその世界の一部に過ぎない人間という存在に宿る様々な醜さや怠惰や弱さ、その一方にある美しい力強さや無限の愛おしさ。冷静ながらも常にどこか温かみを含む観察眼によって描かれるバーンズの詩や散文からは、「人間」という存在の根底に置かれた普遍性へと無理なく触れるような手ざわりがあり、国や文化や時代を超え、今でも多くの人々に愛読され続けていることは納得です。
 さてバーンズの詩集を読み終えて、その後味から思い出されたのが画家のヴィンセント・ファン・ゴッホの感性でした。これは完全にたまたまなのですが、バーンズ詩集を読む前に「ゴッホの手紙」を読み終えており、記憶に新しかったということもあると思うのですが、自然界へと向けられるバーンズの眼差しとゴッホの眼差しにはとても近いものがあるように思います。ゴッホ自身は農民ではなかったものの、自然が織りなす情景とその中を生きる人間から見出した彼の美意識は、バーンズが言葉を通して描いたものと、その角度や深度、あるいは透明度とも呼べそうな純真さの度合いの中で、非常に似たものを感じました。そんな時代も国も表現方法も異なる過日の表現家二人ですが、共通事項として37歳で没している点があります。この二人が私の頭の中で並んだ時に、両者の自然や人間への眼差しから既視感を覚える形で ふっ と連想されたのが宮沢賢治でした。宮沢賢治の文学からも同じような視座と感性が見受けられることを思っていた時に、「あれ、この人も30代で亡くなっていたような…」と調べたところ、彼もまた37歳没でした。恐らく偶然だとも思いますし、確固たるエビデンスが特にあるわけでもないので完全な私見的仮説に過ぎませんが、もしかしたら「27の壁」の他に「37の壁」も何かあるのかもしれない…と、ひとり邪推に至った脳内での出来事でした。

 取り止めのない文になりましたが、最近読んだ本から組み上がった、毒にも薬にもならない話でした。ひとまずバーンズ詩集は色んな方におすすめしたい著書なので、ご興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。

by Mikiko

(2026.2.28)

P・S
「それはまた、別のお話」になりますが、実はもうひとつ「51の壁」の存在も少し疑っております。文章に出来るほどではないので書く予定はありませんが、気になる人はこっそり、展覧会を見がてら店主に直接お尋ねください。

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