01
坂本龍一の代表曲「Merry Christmas Mr. Laurence」(映画「戦場のメリークリスマス」の曲)が好きなのですが、坂本さんが亡くなる直前に収録したCD「Opus」に入っている演奏と、40代の頃にリリースされた「1996」というCDに入っている演奏を、ふと思いついて聴き比べてみたことがあります。個人的な印象としては、若さ(と言っても40代は世間では中堅ですが、表現者としてはまだこれからと言えそうな年代です)故に出来る表現と、人生経験を積み重ねた先で初めて至る表現の違いが分かりやすいほどにはっきりしていて「ああ、そうだよなぁ」と1人で頷くような体験でした。
「1996」に収録された方は他の楽器も入っておりますが、やはりメインは坂本さんのピアノの音かと思います。疾走するようなスピード感の中でストレートに放たれる一音一音には、怖いものなど無いかのような意志の強さと鋭さを見るようで、その音の核から直感的に感じたのは「感情からの放出」の要素でした。一方で「Opus」収録の方はそれに比べてみると、まずテンポがゆっくりとしており、音の一つ一つはしっとりと深く、まるでこの一曲が終わっていく時間を惜しむかのように進んでいく様が印象的です。リルケ著書の「マルテの手記」に、若い人の表現は表現ではなくあくまで感情だ、というような一節があって、表現とは年齢を重ねて様々な経験を積み重ねた先で初めて成せるものであり、人生の晩年近くほどになってようやく初めて「一節の詩が生まれる」と一人の詩人として考えていたようですが、ここでリルケが言いたかったことが、坂本龍一のこの2つの演奏の比較からよく分かるような思いでした。
「若さ」というある意味で無条件に美しいものは全ての人に平等に訪れますが、同じように平等にやがて終わりを迎えるものです。そしてそれは人生の前半の期間にあたり、当たり前ですが「若い頃」とは人が世界をまだまだ知らない時期です。ある種の強さを伴う感情の表出というものは、言ってしまえばそんな無知さ故の怖いもの知らずであるからこそ出来る面があり、そうやって放たれるものには躊躇いが少ないので、受け手によっては真っ直ぐに刺さりやすいものかもしれません。そもそも「感情を表す」という人間の行動自体が、顔の表情ひとつ変えることにおいても対外的な行為であると言えるため、作品制作や演奏においても、感情表現が主体となって成されるものは、周囲の他者にとってみれば分かりやすさを伴うアプローチがあるかと思います。坂本龍一の「1996」の方の演奏は自身の中から繰り返し矢を放つかのような音で、外へと積極的に向かう演奏であると感じました。あくまで奏でる音を投げる「先」が自分の外部にあることで成り立つ類の美しさを持つ演奏だと思います。
一方の「Opus」収録はそれに比べてみると、極めて演奏者自身の内側へ向けた演奏だと感じます。坂本さんが坂本さんのためだけに向けて何かを語りかけ、自分のためにただ美しいものを紡いでいたかったのではないかと、聴いているこちら側が想像してしまうくらいの静けさと落ち着きを含んだ音で(このアルバムに収録された音源全体にこの要素は言えます)、内へ内へと向かうその流れは演奏者の中で凝縮され、小さな美しい宇宙がその内面で生じていく様子を外側から眺めさせてもらっているかのような印象を受けました。表現者が自分の中の美しいもののためだけに忠実となり、その過程で小さな宝石のように紡ぎこぼれ落とされる事物には、その純度が高いほどに、周囲の目撃者にとっても非常に美しいものになり得ることを改めて教わるようでした。
歳を重ね、人生で色々なことを経験すればするほど、人間のその時その時の感情というものは決して一枚岩ではなく、一瞬のゆらぎの中にもたくさんの要素が多分に含まれていることを知っていく人もいるかもしれません。自分が触れた事柄とそれによって反射的に抱いた感情に対して在る、表面からは見えてこない深い事情や過ぎ去ってしまった故にすぐには分からない発端や契機。そういったものを察してみたり、思いを馳せてみることが出来るようになるにつれ、私自身、一種類の単発的な感情を他者に対して安易に放つことが以前よりも躊躇われるようになったところがあります。感情を言葉で説明する時、例えば天気に例えながら「今は雨のような気持ち」という風に、ある一点時の気持ちをひとつの種類に限定するような説明になりがちですが、人間の内側で発生する感情は常にこんなに単純では無く、限りない濃淡を含むグラデーションのような状態であることが多いと思います。「カンカン照りなのにどこか大雨が降っている」とか「重たい曇り空なのに不思議と薄く明るい所もある」とか、じっくりと自分の感情を観察してみると複数の感情的要素はいくらでも同時に湧いてくるものですし、時にそれは矛盾とも言えそうな感情同士が平然と並び、食い合うように混ざっていくことも多いものです。そしてその複雑さや発生の不条理さを知るほどに、それを知らなかった頃は残酷なまでに放つことが出来た強い感情表出について、人間の感情は安易に外へと投げつけるにはあまりに複雑であること、それ故に自分でも意図しなかった形で暴力性を孕んでしまう危険もあることを学ぶのかもしれません。ですが人が身をもってそのことを学ぶには、そういう目に見えない内情の流動をいくらかの客観性を持ちながらなぞる術を身に付けなければならず、そのために自分と、時には他者と、向き合う時間は人によって程度の差はあれど、若いうちだけではまかないきれないくらい多く必要となります。こうやって歳を重ねるごとに若いうちでは見えなかった現実を知ることは怖いことでもありますが、同時に歳を取る醍醐味の一つはそこにあると、私は思います。
若年期を越えて直球的な感情表出が難しくなる一方で、経験を通して自分の中に蓄えられていく学びや発見や知見、それによって新たに培われる感性や思想等、その人の人間性のオリジンに関わる部分は、非常にゆっくりと時間をかけながら人それぞれ固有な形をもって積み上げるように形成されていくものと思います。そしてそれは若い時期が終わったさらに後になってようやく、初めてその人だけの表現へと少しずつ繋がっていくのだと思います。こうやって考えるのであれば、感情的要素に頼らない、真の意味においてその人オリジナルの表現を形作っていくことは、人間としての経験値を十分に蓄えるほどの時間をまだ生きていない若者には理論的にも難しいものであり、リルケのように言うのであれば、人は後年に差し掛かるある程度の年数まで生きて初めて、その人だけの一節の詩を生むことができ、一枚の絵を描くことができるようになり、そして一曲の美しい音楽を奏でられるようになるのでしょう。それは例えるなら、人が自身の人生を歩んできた足取りとその道のりからやっと落ちる一滴の雫のような実りであり、その形や味わい深さ(あるいは認めたくないような残念な幼さや浅慮さも)は、それこそ誰にも模倣出来ない究極のオリジナリティであり、唯一無二の表現ではないかと思います。世間では天才肌のような若年者がもてはやされるように好まれますが、この地点まで愚直に人生を貫いた先で生み落とされる表現は、例えそれが凡才な作り手によるものであっても、時に天才的な表現を凌駕し得る固有の強さと美しさを宿すことがあると私は感じます。
ちなみに私は人が作り出す若い時期特有の表現も、年月を経た先で現れる作り手の人生像のような表現も、素晴らしいものはどちらも素晴らしいと感じますし、美しいものはどちらもシンプルに美しく、自分の肌に合わないものはどちらのタイプであっても合いません。実際に坂本龍一の「1996」と「Opus」はどちらも好きな楽曲アルバムです。ただ、1人の表現者の成熟時期と人生の終焉時期という、異なる地点での表現に同時に触れることが出来た体験は、たまたま自分が生まれ育った時代的なものも含めて、何と稀有で面白い機会であったろうと思います。そして自分が18歳の時に初めて出会った「マルテの手記」の一節でリルケが言いたかったことが、良いお手本に触れるかのように、ある意味で分かりやすく知り直すことが出来たことが嬉しかったです。
by Mikiko
(2024.12.19 メモより)
02
今の時代を見ていると、あらゆる価値観やさまざまな事柄の評価基準が、これまでの歴史上あり得た事がないほどに多様な時代であると言っても過言ではないかもしれません。そんな時代の中で「芸術(≒アート)」とは何かを改めて考える時、それは最早そう呼ばれる対象となる事物(つまりアート作品と呼ばれる物)自体が何という話ではなくなり、鑑賞者が何を見て「これはアートだ」と言いたいかという問題にシフトしつつあるようにも感じます。
自由美術が台頭し、作り手次第で作品の形態や様式の自由が許されるようになった中で、「これはアートだ」と指差される物の数は途方もなく増加しているように感じる最近です。そしてそのセリフを叫び指差す側は、作品の作り手である作家も含め、当然ながら作品本体から見て外側にいる人々です。真のアートというものは、今や「これである」と指差す個人の数だけあり、そしてその作品を見る個人にとっては、その作品が真のアートであることは実際に紛れもない事実です。
では個人の意見という枠を超え、社会という大きな括りで見た時に「これが真のアートです」と見なされることが許された作品とはどういう物になるのでしょう。それは結局のところ、誰がそのお墨付きを与えたのかが重要になってくるものだと思います。お墨付きを与えた「誰か」に最もらしい肩書きがあり、その人物が属する集団の中において強い発言力や支持率を持つ者であるのなら、そのお墨付きは容易に当該集団の内側で真実として扱われます。そして皮肉なことにその流れの中に置かれた作家や作品そのものは、真のアートとは何かを決める動きの中において、最も重要な事項と言うわけでは無くなります。現社会を見る限り、そういう形で物の価値や定義が決まることはアートの世界に限ったことではなく、歴史を振り返っても、人間集団におけるこういった傾向は、様々な業種・業界の中で恐ろしいほどにありふれてきた事実かと思います。そういう前提があるものとして考えてみるならば、結局のところアートの定義というものは個々人の主観から逃れられない性格があり、当然ながらその内容やレベル感は個々人によって大きくばらけてくるものでしょう。さらに今はSNSの発達により、著名人や専門家でない個人が自身の考えや意見を社会へ発信することが信じ難いほどに容易となりました。気まぐれに発せられた言葉が思いがけない扇動を生み、すさまじい影響力を得て、時には発言者自身の手にも負えなくなってしまう事象は、誰しもの手のひらの中で最早日常となったように感じます。そういう時代背景も踏まえながらアートについても見てみると、様々な価値観や考え方を持つ人達が、各々が信じるアートという事物現象を指さし合っている様が可視化されたとも言えそうです。しかもそれは必ずしも大きな統一性を持つわけではないので、芸術とは何かを考える時の判断基準や価値の在り方は、現代社会の中においてどんどん空中分解していき、その概念はさらなる混沌の中に散らばりつつあるように思います。
ただ一点、今も昔も芸術作品の普遍的な事柄として言えるのは、作品と呼ばれる物は必ず誰かが作ったものであるということです。その動機や目的、技法や工程は数多くあるでしょうが、その事物が存在するきっかけとなる一番最初のところには、必ず生身の人間が関わっています。そして実用的な道具を作るわけでもないので、最終的に出来上がるものは言ってしまえば社会における路傍の石のような存在なわけですが、他の目的や用途がまるで無いからこそ、作り手の人間性を純度高く反映させることを可能にしていると思います。芸術とは何かを考えることは、そうやって作られる物理的な実用性や役割を持たない存在が、アート作品という価値を帯びるかどうか…そういった種類の問いをずっとこねまわしている事のようにも思います。
「アート」という言葉の肩書が添えられる事物と対峙した時、その内容によっては何とも言えない違和感を覚えた経験がある人は少なくないかもしれません。その違和感の正体について推測してみるのであれば、それは「これをアートと呼びたいか否か」という、それを目にした人の中へと無条件に投げかけられる問いそのものではないでしょうか。そしてその問いを各々自分なりに推し進めて考えてみるのであれば、自分自身は果たしてどんなものを「アートである」と言いたいかという、ある意味で根源的な議題を自分自身に向けて考えることに繋がっていくのかもしれません。自己の中で湧いたその問いへの自分なりの返答、言ってしまえば鑑賞者個人が持つ理想のアート像の内容は、そのままその鑑賞者自身の人間性 ― その人の人生観や今時点における精神の深度、あるいは生きる上で重要と考えている主義や価値観等々 ― に自然と紐づいてくるだろうと思います。日本では「アート」という言葉を冠に、展覧会を始め様々なイベントや企画が開催され、その中には素晴らしい企画がたくさんあります。しかし一方で、物によってはその在り様に対して小首を傾げたくなるものも多々あるのが正直な現状かと思います。大抵のイベントや企画内容というものは、その主催者の考え方や精神性レベルがそのまま内容に反映されることが多いと見受けられ(そして人が手掛ける物という点において、その反映の形は、芸術作品に作り手が嫌でも反映されることと全く同じ性格を持つと見ています)、自ずと「アート」という単語の使い方にもそれが反映されることは不思議ではありません。なので、人がつい小首を傾げてしまうそういった場面に出くわした時、その人が小首を傾げたくなる対象はそこに置かれた「アート」という単語やその定義に対してだけではなく、そのイベント主催者の芸術への考え方や扱い方に対してでもあると言えるのかもしれません。
そういう風に現状の「アート」という言葉を眺めていった上で、自由美術が広く受け入れられた現代における芸術(≒アート)という現象を、僭越ながら私なりの言葉で仮定義してみようとするならば、それは「人間の精神性そのもの」であり、芸術作品とは「作り手である人間の、作品制作当時の精神性の痕跡物であり、過日にその精神が在ったことを示す事実そのもの」であると思います。繰り返しになりますが、人の手掛けた事物は、その事物に実用的な用途や目的が無ければ無いほど、作り手にその自覚があろうが無かろうが、その人間性が嫌でも反映される面があると見ます。だからこそ芸術というものは、それに触れる個人へと心的な側面からダイレクトに影響を与えたり、深い内情の中で強い支えになり得る現象であると考えておりますが、芸術作品を受け取る側、つまり鑑賞者は、そこに宿る精神性が自分に近しい物や共感・共鳴できる作品に反応しやすい傾向があると思います。この傾向自体は恐らく本能にも絡む人間の特性のひとつではないかと察しますが、それ故にあまりに自身の心からかけ離れているものについては、そのレベル感が自分に対して高すぎても低すぎても、途端に未知なる存在となり、受けつけにくくなってしまう面があるのではないかと、これまで多くの人たちが様々な作品と対峙する様子を見ながら感じてきました。
どんな物に対してアートという言葉がよく使われているか、そう呼ばれることを許す傾向にあるか、あるいはどういうシーンで使えば都合が良いか…冒頭で述べたようにその在り様は細かく見出すと実に多種多様で、正直キリがないと思います。ですがその中でもメディアや公の場で見かける「アート」という言葉は、どういった内容や場面に使われる事が多く、疑いもなく多くの人々に受け入れられるものはどんな性質の類が多いか。もし私が先ほど仮定義させていただいた形で「芸術」というものを考えるのであれば、「アート」という言葉がよく添えられる事物の種類や内容、疑問少なく受け入れられやすい場面から、その社会の精神性や趣向性のリアルタイムでの平均値を捉える事が出来るのではないかと思います。社会という大きな括りで考えるとつい漠然としがちですが、あくまで社会は個人が集まって組み上げられる集団であるため、それは私やこれを読んでいるあなたも含めた、今この社会集団に属する人間の精神レベルの平均値です。そうやって紐解いて「アート作品」と呼ばれるものを見つめ直してみると、今自分がどんな世界に身を置いているのか、その現実が自ずと見えてくるように感じられます。
by Mikiko
(2025.5.6 メモより)
03
大学時代に文化人類学を学んでいた頃お世話になっていた恩師の言葉に「在るから見るのではなく、見るから在るのだ」というものがあります。自己の外側に広がるフィールド上にひとつのモノが置かれている時、客観的にそのモノが存在することは間違えなく事実であり現実であったとしても、そのモノに自分が全く気付かなかった場合、それは自分にとって存在しない事に等しいです。自分が立っている場所の地続き上に存在している物事は、たとえその存在が自分の五感のいずれかに触れていても、その信号や刺激を意識的に捉えることがなければ、その存在が「私」に認識されることはありません。人がそれに意識を向けた上でそれを「見る」ときに、初めてその他物はその人の中で「存在」を得るというシンプルな事実を端的に示したこの言葉を、私は芸術作品と対峙する中で幾度となく反芻してきたように思います。
数か月前、某所で再評価中とされる物故作家の回顧展を拝見しました。没後キリのよい年数であったこともあり、その作家の展覧会の中では最大規模だったようで、大正から昭和にかけての人生で描かれた写実表現作品群を一挙に見ることができました。率直な感想としては、決して悪い印象は無かったものの、これまで無名でいた理由が何となく見えてくるような、あと一歩何かが確実に足りないままに生涯が終わってしまった、そういう歯痒さを覚えるような印象の回顧展でした。その一歩が何であったかについて、細々と思うことは様々ありますが、それとは別にひとつだけ、展覧会として印象に残った事を書いてみようと思います。
今回の展覧会にはメイン作家の作品の他、同時代の日本人洋画家作品も参考程度に何名か紹介されており、その中に岸田劉生の静物画が2点ほどありました。不意打ちに近い形で岸田作品を目にした時、この画家達の中において岸田劉生のモノを見る眼差しが一段深く異なる地点にあり、その独特さがじわりと際立つような感覚を覚えました。今回のメイン画家も岸田劉生からは影響を受けていたようで、似た構図や同じようなモチーフの絵もあり、その作品と繋がるような岸田作品も展示されておりました。展示企画者の意図としては親切な参考資料の提示という意味があったのでしょうが、それは却って岸田劉生が持っていた感性の異質な鋭さと独自性を引き立たせ、今展の主役を含めた他作品の物足りなさを浮き彫りにしてしまうような残酷さがあったように感じます。その違いがはっきりと現れていた点のひとつとして、描いた物的モチーフの「裏」に対する意識の有無があります。モチーフの裏側ないし裏面は、平面絵画の中で直接描かれることはありませんし、二次元上である以上それは不可能でもあることです。ですが縦と横にしか筆を運べない制約の中で、岸田作品からは描かれた物の裏側、つまり視点を固定した際にどうしても見ることが出来なくなる面、そういった角度からの視座も意識として持ち続け、全てを直接描くことは出来ずとも、三次元上の存在を成す多面的な要素を可能な限り平たい画面へと落としていったような、ある意味で執着にも似た存在への追究を感じさせるものがありました。意識をどこに置くか、あるいはどこまで広げて留意するか、その心持ちひとつで描かれるものの輪郭や線の角度等、その筆致はひとつひとつ微妙に変わってきます。岸田劉生のそんな外界への眼差しと実存する物体に対する、ある意味で非常に忠実とも言える、容赦ない追究を生の絵肌でダイレクトに食らった後に他の作品を見ると、立体的な描写を目指したと思われるほとんどの絵の中においてモチーフの見えない側面への意識の欠落が目立ち、写実的な描写だからこそ強い違和となって目に映ったように思います。絵画作品を見ることは、その描き手が何をどう見てきたのか、その内情に直接触れることが出来る機会であると思いますが、同時にその眼差しが何を捉えていなかったのかについても嘘偽りなく見えてくることがあります。絵を見る人に対して立体的な印象を与える技法や描き方等は多くの教科書に細かく説明されていますし、鍛錬を重ねさえすればどんな描き手でもある程度のレベルまで上達出来るでしょう。実際に描写に使うテクニック自体は岸田劉生と他の作家との間で、特筆するほどの差はあまり無いとも思われました。ですが一人の固有な画家であり人間として、その個人ならではの味を画面に宿せるかどうかについては、自分がどんな風に世界に向けて五感を開き、それにどう接しながら自己を形成してきたのかという、人間としての独自性を確立していく文脈の中で育まれるものであり、さらにそれを作品の中で発揮出来るようになるかどうかについては、絵の技法書に載る内容を履修したその先の、先人による道しるべなど何も無くなった領域での話です。
そう言った意味で今回の回顧展からは、外界を眺める自分なりの視座とその強みを、画家として作品の中で十分に発揮出来るようになる前の発展途上の最中で、80年を越える生涯が終わってしまったような後味を覚えました。決して早逝ではなく、むしろ長生きと思われる生涯を通して絵を続けながらも、最後まで確固たる自分のオリジナリティを表現の中に確立し得なかった作家というものは、絵画に限らず気が遠くなるほど多いでしょうし、むしろそれがほとんどと言っても過言ではないと思います。ですが単なる自己満足を超えた「自己表現の世界」とは元来そういった性質の生業だと思います。そういう直視することも辛くなる厳しさがこの分野の世界にはひとつあると、この度の回顧展で改めて目を見張るようでした。
by Mikiko
(2025.9.28 メモより)
03.5
(03への追記)
拝見した展覧会の作家が今現在において再評価中にあることを考えると若干クレームを出されそうな事を書き連ねましたが、一点この画家の魅力だと素直に感じたものとして、薄明かりの色感がありました。夕方から夜になる直前の「黄昏時」と呼ばれるあの明暗や、暗い空から柔らかに降り注ぐ月光描写等、色の境目がはっきりしない濃淡の表情には抵抗感なく惹かれるものを感じたことは事実です。写実描写に縛られず、この色彩感を主体としてもっと異なる方面からのアプローチが出来ていたら全く別の形で何かが開けたのではないかと、自由美術が進んだ時代にいる私は安易に思ってしまいました。ですが冷静になって当画家が生きた時代背景を考えると、既成絵画の型枠を壊しながら自由な絵画表現のあり方を進めたり自分なりの新たな価値観や形式をゼロから生み出すこと自体、そもそもその発想に至るかどうかも含めて、今と比べて非常に難しいものがあったと想像します。世界的に見ても抽象画どころか印象派的な表現もまだしっかりした評価が成されていなかった時代で、西洋絵画が輸入されてからまだ歴の浅い日本において既存の型から大きく外れるようなことをやろうしたならば、絵を描くこととはまた別のすさまじい胆力が求められたでしょうし、そもそも評価の対象にされず作品自体も残ることが出来なかったと察します。そう言った時代的な事情も含め、その画家固有の表現を発展させることに関しては、何とも言い難い歯がゆさを覚える限界も回顧展からは感じられるようでした。
自分の中に在るものを大きく制約されることなく他者へと伝えていけること、これがいわゆる「表現の自由」と呼ばれる権利へと繋がることだと思いますが、表現する内容から形式においてまで、その自由さが真の意味において時代の進みと共に広がり続けてきたことは、自身が身を置いた時代的な限界を背負いながらももがいてきた様々な分野の過日の個人たちが、その人生を断片的にでも後世へと残し、次の世代がその断片を基に新たな事柄へと繋いできた大きな繰り返しの中で、徐々に勝ち取り育ててきた権利でもあるように感じます。そう考えるならば、令和の社会を生きる私達は一昔前と比べれば成熟の進んだ自由を享受しており、それは最早当たり前のような感覚の社会になりつつあるため、それがどういう事であるのかについてはあえて意識を向けることもあまりないのかもしれません。ですが物事の隅の方から音もなく消しゴムがかけられ、気がつくと大部分が消されてしまっているような類の危険と常に隣り合わせにあるくらいには、その自由は今日においてもまだまだ脆弱な段階にあると思います。
自分の周囲に流れる情勢の風向きとその速度感を日々過ごす中で肌になぞりながら遠く過ぎ去った時代の遺物を眺めることは、私にとって普段意識が届かない事柄へと思いを馳せる機会にもなることが多いです。恣意的に要不要を選ばず、可能な限り先入観を捨て、壊されてしまうあらゆる危険がこれまでに何度もあっただろうにも関わらず、それでも今も尚在り続ける物事へ自分なりの眼差しを投げ、返ってくる無言の声に自分なりの耳を傾けること。今はもう終わった時代のモノ達とそうやって対峙してみると、自分が今立っているフィールドの下に在る幾重にも折り重なった時代の層に、少しだけ触れることが出来るように感じます。
by Mikiko
(2025.9.28 メモ続きより)
04
当画廊で企画展をお休みしてから早くも1年半ほどが経ちます。画廊をやっていると勝手に経済的に余裕があると見られがちなのですが、私自身に関して言えばそんな事は悲しいほどに何もなく、いわゆるスポンサーのような贅沢な後ろ盾も皆無であるため、恥を承知で言うのであれば、そういう結果としてメイン営業を休みにしたと言っても過言ではありません。自分がやりたいやり方で画廊業を組み立てるにはどうしても成長に時間がかかる仕事だと痛感したため、画商である前に未熟な事業者として、限られた資金で何とか細くでも長くやっていけるスキルを身に付けたいとの思いから、企画展お休み中の間はこれまで未経験であった経理の仕事に就いている今現在です。平日はフルタイムで都内某企業経理部の派遣社員としてパソコンを叩きながら数字を目にする最近ですが(そのために現在の開廊日は土日に少しという形なのです)、やってみれば経理というお金回りの仕事もなかなか面白く学びがいがあるものです。さてそんな風に日々通っているオフィスビルにて、個人的に少し面白い出来事があったので書いてみようと思います。
仕事先のビル1階のエントランスには、わりと大きいブロンズ像が一体置かれています。建物に入ってすぐ、真正面から直面する形で設置されているのですが、ややパブリックなスペースでありつつ、芸術に直接関わる会社は現時点で一つも入っていないオフィスビルにある彫刻にしては妙に目を惹く幻想的なフォルムと無言の魅力があり、面接で初めてこのビルに来た時から「何でこの作品はここにあるのだろう」と気になっていました。この場所へ勤めるようになってから毎日このブロンズ像の前を通って行き帰りしておりますが、私にとっては完全に日常の背景に溶け込むことがなく、折に触れては何かと目が留まり、それとなく見上げたりしております。像の付近にはキャプション等、作品や作家に関する情報が分かるものは一切無く、同じ会社の方に尋ねてみたところ、会社がこのビルに入った20年以上前の時点で既に置かれていたそうなのですが、誰も詳細を知らないそうです。勤め始めたばかりの頃に軽くWebで調べてみましたが、ビルの建物情報は出てきても彫刻に関してはビル情報の内観写真に少し写っている程度で、作品の出自に関する事やそこに置かれた経緯といった詳細は何も出てきませんでした。仕事でビルに出入りする人達にとっては日常風景と化しているためか、その像をあえて鑑賞しているような人を私はまだ見たことがありません。私自身もその前を通るのが仕事前か仕事終わりかになるため基本的に時間が無く、ゆっくり鑑賞することがあまり出来ないままでした。ですがつい先日、たまたま人が誰もいないタイミングにて、始業前に少しだけいつもより長く立ち止まってみました。人型の存在と牛か馬かの胴体を思わせる形が正面から食い込むように合体したシルエットで、ケンタウロスを彷彿させたかと思えば、臀部が人間のものと動物のものとで2つあります。何とも言い難いユニークさと少しばかりの畏怖、それでも全体的にはさらりとした優美と温かみとがあり、改めて心掴まれるものがありました。洗練された几帳面さと空間に遠慮なく広がる大胆さが安定感を持って融合するイメージからはシュルリアリスム美術を思い出させるものがあり、そういう印象から漠然と日本人作家ではないだろうなとは考えておりました。ちょうど動物側のお尻を覗き込むような角度に回って見ていた時、ふと彫刻の足元のさりげない箇所に作家のサインが入っている事に気づきました。大きく「M」と掘られた横に向きの異なる文字列で「M Mascherini」と識別できた時、その像に少しだけ近づけた気がして自分でも意外なほどに嬉しいものがありました。早速そのサインをメモしてWebで調べてみたところ、マルッチェロ・マスケリーニ(Marcello Mascherini)というイタリアの彫刻家のサインであることが分かりました。日本語で検索をかけてもあまり情報が出て来ず(それでも国内に数件、作品を所蔵している美術館はあるようです)ローマ字表記で検索をしたところ、マスケリーニ氏の作品や経歴をまとめたイタリアの専門Webページに辿り着きました。イタリア語はまるで読めないのですが、幸い英語表記があったため、勉強中の頼りない英語力でbiography情報をざっくりさらったところ、1920年代〜1970年代をメインに活動された彫刻家で、国際的にも評価され、イタリア国内では注目され続けた彫刻家の一人のようです。日本でも1968年と1972年に都内で個展が開催され、また箱根にある彫刻の森美術館にも2体ほど大型彫刻作品が収蔵されたとの記述がありました。日本にまつわる事はその点のみが軽く書かれている程度でしたが、関連資料として3枚ほど写真の掲載がありました。うち2枚は彫刻の森美術館へ作品が収蔵されたことに関するもので、モノクロ写真に時代を感じつつ、そこに写る作品と作家ご本人の姿を趣き深く拝見する流れで3枚目の写真もクリックして開いてみました。そこには作家と日本人アートディーラーと記載された人物がツーショットで写っていたのですが、その背景に置かれていた大きめの作品に目をやると、なんと私が毎日オフィスビルで眺めているブロンズ像それでした。流石にこんなにダイレクトな情報が入ってくるとは思っていなかったので驚きつつ、それから時間をかけてWebページを見ていくと、展示風景の写真や刊行された作品集の表紙など、他複数の掲載画像からもその作品が認められ、自分の中で体温が上がるような思いでした。
さてそれから数日後、改めてマスケリーニ氏のサイトを見たときに、丁寧に作品写真がまとめられたアーカイブページがあることに気が付きました。そこにも私が毎日挨拶している作品の掲載があり、比較的代表作に入るものだったのかなと閲覧していたのですが、作品写真下部に小さく記載されたローマ字表記の日本語に目が止まりました。ここでは具体的な表記は避けますが、その響きにどこかで覚えがあるなと脳内検索をかけたところ、それはお世話になっているオフィスビルの持ち主の名前で、私は自分の仕事柄その名前を毎月預かるテナント料の請求書で見ていたのでした。ビルの持ち主は個人ではなく企業なのですが、美術と直接的な関りが無さそうな業種のため、時代柄何かのタイミングで購入したのだろうと考えつつ、何の気なしに持ち主である企業のWebサイトで会社沿革を眺めていたのですが、驚くことにこの企業自体が平成初期に美術ギャラリーを立ち上げていたことが分かり、さらにそのギャラリー代表者がまさにマスケリーニ氏とツーショットで写っていた日本人アートディーラーであったことまで判明しました。さすがに全く予想していない展開だったので心中は叫び出すような思いでしたが、企業ページでは10年以上前に美術事業から撤退とあり、そのタイミングでギャラリーも無くなってしまったようでした。
素性が分からずともそこを毎日行き交う様々な人達の無意識下で受け入れられ続ける美術作品には、作品そのものに一種の独立した力があると思います。あえて関心を向ける人の少なさよりも、エントランスという嫌でも多くの人の目に入るような場所で大きく空間を占めていながら、特に邪険にされることもなく、景色の自然な一部のように長期に渡って溶け込み続けられることは、そう簡単なことではないと個人的に思います。作家名や制作年、そこに置かれている経緯等、文字による価値の説明や肩書など不要なほどに、無言のままモノとして確固たる存在を携える力強い美術に出逢えることは、画商として光栄に思う体験です。その上で個人的に懸念していたこととしては、あまりに作品について詳細を知る人が周囲におらず、日本語で調べても情報にたどり着けない今の状態で、例えばビルを改装する等、建物自体に大きな工事が入ることになった際に誤廃棄されてしまう危険が捨てきれない点でした。変わりゆく時代と移り行く人々の流れの中で、後世に対して作品の詳細や作品を受け入れた人たちの意向が上手く受け継がれず周知されていない場合、作品自体は同じ場所に在り続けながらも匿名状態へと変わっていってしまうこともあるのだろうと、今回マスケリーニ氏の彫刻を眺めながら感じました。そういう状況にある美術品にとって、持ち主が居なくなってしまう時や、置かれている建物自体が改修や取り壊し等で大きな転換を迎えるタイミングはまさにひとつの峠となり、時代のふるいに掛けられる瞬間になるのだろうと、時々目にする美術品誤廃棄のニュースを思い出しながら察します。ただ今回の件に関して言えば、持ち主に上記のような経緯があることが分かり、少なくとも全くの匿名状態にはなっていないだろうと期待できるので、その点については個人的に安堵するものを感じております。(それでももし可能であるのなら、最低限キャプションを作って置いてあげたい想いが自分としては密かにあります。)
以上、個人的な興味から始まって個人的にひと段落したエピソードとなりますが、自分の中ではとても豊かな冒険をさせていただけたような気持ちでした。経理業をやらせていただいている勤め先も美術とは直接関係のない企業であることを考えると、一連のことは全て偶然に過ぎませんが、自身の立場を鑑みるとこんなに面白い偶発的なご縁も珍しいなと感じる機会でした。ここから何かが変わったわけではありませんが、当画廊が企画展を再開する直前の来年夏頃までは引き続き毎日このビルに通うので、もう少しの間、日々の中でこの彫刻作品を眺めたいと改めて思います。
by Mikiko
(2025.11.29)